2009年7月 6日 (月)

伝説になった「マイケル・ジャクソン」

そのニュースはあまりに突然すぎた。今の若者にとっては彼の偉大さは理解できないだろう。彼の音楽が世界中を駆け巡っていた頃、彼の音楽は多くの人々を幸せにし、良き思い出を心に埋め込んだ。

私がマイケル・ジャクソンの音楽と出合ったのは、アルバム「オフ・ザ・ウォール」からだ。

Dscn2416

ディスコ全盛の1979年に発売されたこのアルバムはポップで踊れる曲が多い。なんといってもこのアルバムに参加しているメンバーは聴いた名前が多い。プロデューサーはクインシー・ジョーンズ、参加ミュージシャンはラリー・カールトン、デビット・フォスター、スティーブ・ポーカロ、ルイス・ジョンソン、ジョン・ロビンソン、ワー・ワー・ワトソン、デビット・ウイリアムス等。そしてポールマッカートニー、スティービー・ワンダーが曲を提供している。

なんと言ってもクインシー・ジョーンズとの出会いがマイケルの後の音楽活動に大きな影響を及ぼすことになった。クインシー・ジョーンズとの出会いは、映画「ウィズ」にマイケルが出演した時だったと言われている。ダイアナ・ロス主演のこの映画に、彼女から才能を認められかわいがられているマイケルが出演した。その「ウィズ」で音楽監督をしていたのがクインシー・ジョーンズだった。

マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズが初めて作った「オフ・ザ・ウォール」は黒人特有のリズムとアレンジでこの後にやってくるブラック・コンテンポラリーのブームの先駆けとも言える内容の作品も多くある。

1982年には「スリラー」を発表。

Dscn2419

このアルバムもプロデューサーはクインシー・ジョーンズである。ロック色を強めながらも黒人音楽のリズム&ソウルも健在だ。そして、この後マイケル・ジャクソンを語るうえで「スリラー」と言うアルバムは欠くことのできない作品となってしまった。アルバムセールスもさることながら前作「オフ・ザ・ウォール」以上の豪華参加ミュージシャンの数。かるく紹介しますと、ポール・マッカートニーをはじめエディ・ヴァン・ヘイレン、スティーブ・ルカサー、スティーブ・ポーカロ、ジェフ・ポーカロ、デビット・ペイチ、デビット・フォスター、ルイス・ジョンソン、ジェームス・イングラム、マイケル・ボディッカー、ラトゥーヤ・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン等々。マイケル・ジャクソンは一流のミュージシャンとの交流の中から様々な事を吸収していった。

そして、忘れてならないのがミュージック・ビデオだ。

MTVチャンネルの開設により各アーティストたちがプロモーションのミュージック・ビデオを制作してこのチャンネルで流すようになってきた。マイケル・ジャクソンもこのアルバムから「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」などのミュージック・ビデオを制作しMTVで流れたが、そのダンスやストーリー性のある作りが話題になった。

そしてあの「スリラー」のミュージック・ビデオだ。当時、破格の製作費をかけて「スリラー」のミュージック・ビデオが作られた。

監督はジョン・ランディス。「狼男アメリカン」の監督で、この作品はアカデミー賞のメイキャップ賞受賞している。マイケルと親交のあるスティーブン・スピルバーグ繋がりでジョン・ランディスに監督を依頼したと言う説もある。(ジョン・ランディス監督作品の「ブルース・ブラザース」にスピルバーグはチョイ役で出演している)

この映像が全世界で流れ、そのダンスをみんながマネをし大ブームを巻き起こした。

この後多くのミュージシャンがミュージック・ビデオの製作に力を入れるようになり、1980年代のMTVブームがやってくる。

マイケル・ジャクソンはブームの先駆者的存在なのだ。

「スリラー」からおよそ5年の後「バッド」を発表。5年という歳月がマイケルにとって長かったのか短かったのか。その間に「ウィー・アー・ザ・ワールド」や、映画「キャプテンEO」への出演があったりしたのだが、ビッグ・セールスを記録した「スリラー」の後のアルバムを制作する上で、かなりのプレッシャーはあったと思う。

しかし、そのプレッシャーの中で素晴らしいアルバムを作り上げた。セールス的には「スリラー」に遠く及ばないが、アルバムのクオリティはかなり高い。

「オフ・ザ・ウォール」、「スリラー」では自作の曲が4曲ぐらいだったのが、「バッド」では11曲中9曲がマイケルによる作品だ。プロデューサーはクインシー・ジョーンズで変わらないが、ブラック&ソウル色が抑えられロックの色合いがより一層強く、バラードにしてもアレンジが変わってきたように思う。ただ全体的には「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」の流れの中にあるためなのか評価はイマイチだったようだ。

Dscn2421

1991年に「デンジャラス」を発表した。このアルバムはマイケル・ジャクソンのプロデュースだ。クインシー・ジョーンズではないことについては、このアルバムを聴けばその理由が分かる。マイケルは、「バッド」でプリンスとデュエットしたかったが出来なかったらしい。そのくらいプリンスの音楽を意識していたようだ。当時プリンスの音楽は今までにない新しい感覚のものだった。マイケルにとってやりたかった音楽がそこにあった。

テディ・ライリィを迎え楽曲を共作し、マイケルは新しい領域に踏み込んでいった。このアルバムの前半6曲はプリンスを強く意識したような内容の曲が続く。これまでと違ったアレンジに戸惑ったファンは多いはずだ。

この「デンジャラス」で以前からやりたかった音楽を取り入れることができたのは、「スリラー」の呪縛から解かれたからだろう。プレッシャーのかかったアルバム「バッド」でそれを乗り切ったマイケルは次なる挑戦に踏み切ることができたのだ。

しかし、マイケルはこれまでやってきた音楽も大切にしていた。7曲目の「ヒール・ザ・ワールド」からの後半部分はメロディアスなバラードあり、ロックあり、リズム&ブルースあり、これまでのファンが満足できる楽曲を提供している。

「デンジャラス」はマイケル・ジャクソンの二つの音楽性に触れることができる。

私が持っているマイケルのアルバムは、「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「バッド」「デンジャラス」の4枚だ。「インヴィンシブル」は今後購入して聴きたいと思います。

最後に、マイケルが亡くなってから、彼のミュージック・テープを観た。「デンジャラス」を発表してから程なくしてNHKのBSで放送したものを録画していたものだ。

Dscn2425

平成4年5月17日の放送日か?

曲目は

  1. リベリアン・ガール
  2. ダーティー・ダイアナ
  3. ビリー・ジーン
  4. ビート・イット
  5. バッド
  6. リーヴ・ミー・アローン
  7. スムーズ・クリミナル
  8. アナザー・パート・オブ・ミー
  9. マン・イン・ザ・ミラー
  10. ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール
  11. スリラー
  12. ブラック・オア・ホワイト
  13. リメンバー・ザ・タイム
  14. イン・ザ・クローゼット

の14曲。すべてノーカットで放送されたもので、さすがNHKと言える。これを観ていると、マイケルのダンスのすばらしさが分かるし、洗練されていく様子がよく分かる。

まさに、伝説のシンガーでダンサーがマイケル・ジャクソンだ。

マイケル・ジャクソン、永遠に。ご冥福をお祈りいたします。

| | トラックバック (0)

2009年6月26日 (金)

HONDA XLR250R(1986年型)

1986年の暮にホンダXLR250Rがモデルチェンジして発売された。

XLR250Rの発売よりわずか3ヶ月前にエンデューロレース用オフロードマシンXR250が発売されていた。そのデザインが、小さめのタンクからシートにかけて直線的に処理されていてシンプルでカッコいいなぁ~と思っていたんです。そしたらバイク仲間の間でXR250に保安部品を付けただけのスタイルでXLR250Rとして発売されるらしいと言う噂が出てきたんです。

そんな噂が現実となってXLR250Rが発売されたものですから、欲しくなっちゃいますよね。で、買っちゃったわけです。

Img095

私が乗っていたXLR250Rの写真

このXLR250Rは、ホンダが4サイクルエンジンにこだわって作り続けてきたオフロードマシンだ。

ホンダはほんと4サイクルにこだわるよねぇ。オフロードバイクにとって2サイクルエンジンはパワーがあり、瞬発力もある。それで4サイクルエンジンに比べ重量も軽くできる。軽量化はオフロードバイクにとって重要ですからホンダ以外のメーカーはオフロードバイクは2サイクルエンジンで開発を進めてきた。

しかしホンダは他メーカーがやらないこと、不可能と思えることに挑戦する。これがホンダスピリッツなのだ。言い方を変えれば「4サイクルエンジンにこだわる頑固者」ってところか。

ただホンダにはもうひとつ確たる理由で4サイクルエンジンのオフロードバイクの開発を進めていた。それは、モトクロスのようなクローズされたコースでは2サイクルエンジンのパワーと瞬発力が圧倒的に有利だが、エンデューロのようなオープンなコースは砂場や岩場、ぬかるみありといろいろな路面状況があり、しかも長時間走り続けるようなレースでは、4サイクルのパワー特性が合っているはずだと。

何時間も走り続けていると大自然のタフなコースでは2サイクルのピーキーなパワーを使いこなすにはかなりの体力と技量が必要だ。4サイクルではラフなアクセルワークでもバイクの挙動が急激に変化することがなくコントロールしやすい。様々な路面状況でもアクセルワークに極度に神経質にならなくてもよいってことは、体力の消耗を抑えることにもつながる。ロングランレースではこれが有利に働くひとつの要件になる。

このような考えのもとにホンダは4サイクルエンジンのオフロードモデルを作り続けていた。他メーカーも4サイクルオフロードモデルを出してきた。1979年にカワサキKL250、1980年にはヤマハXT250を発売してきた。そしてホンダは1981年の終わりにXL250Rを発表した。

このXL250RにはモトクロスマシンCRに搭載されてその実力が証明されていたプロリンクサスペンションがリアサスに組み込まれた。そして、XLの開発に忘れてならないのが、コンペティションマシンのXRの存在だ。

アメリカのナショナルエンデューロレースにXRで出場し市販車のXLにフィードバックしていった。プロリンクサスペンションを搭載したXR200でエンデューロレースに初出場した時、240台中59位で第一セクションをパス。KTMやハスクバーナなど2サイクル勢がほとんどという中にあって200ccのアンダーパワーでこの順位での通過が何を意味しているのか?

確かな手応えを感じ取ったホンダは、重量も2サイクルオフロードモデルと同等、足回りもプロリンクで決めた。あとはアンダーパワーを克服すればレースで充分トップ争いできる。

そこで開発されたエンジンがRFVCエンジンだ。バルブを放射状に配して燃焼効率を飛躍的に高めた。当初RFVCエンジンはより高速パフォーマンスを求めて超高回転型のピーキーな特性に作り上げた。しかし、エンデューロのエキスパートであるアル・ベイカーやボブ・バレンタイン、ミル・スミスらがオーバーオールなエンジン特性にした方が良いと助言し見なおされ、熟成されていった。

そして1986年のXR250R・XLR250Rへと繋がっていったのでした。

コンペティションマシンのXRと市販車のXLRをちょっとだけ比べてみると、エンジンのパワーソースでは、XRより2馬力劣る数値で、ピックアップも若干鈍く感じるということだ。

ウェイトではXRの108kg(乾燥重量)に対して111kg(乾燥重量)とかなり頑張った数値である。なんといってもバッテリーレスの貢献度は大きいかな。タンクがスチール製となり、その他の保安部品がついたにもかかわらず3キロ増に抑えているのは立派である。

サスペンションストロークはXRより20mm短い前後とも260mm。これは日本人の足の長さを考慮したためらしいが、ほんと?ただ、XRとセッティングを変えて短い分をカバーする味付けがされているということだ。

このようにコンペティションマシンのXRの操縦性をそのまま市販車で体験できるマシンに仕上げられたのが1986年型XLR250Rなのだ。

オフロード初心者の私にとって、このXLR250Rはオフロードの楽しさを教えてくれたいいバイクでした。ビギナーはオフに入ったら怖くてアクセルを開けることなどなかなかできませんからねぇ。そんな時でも中低速重視の4サイクルエンジンは良くサポートしてくれました。

もちろん上級者にとっても速く走らせることができるパフォーマンスを持っている。幅広い層のライダーに受け入れられる素晴らしいバイクでした。

XR250R(1986年型)

主要諸元

エンジン

  • 空冷4サイクルOHC4バルブ単気筒
  • 排気量・・・・・・・・・・・・・・・・・・・249cc
  • 内径×行程・・・・・・・・・・・・・・・73.0mm×59.5mm
  • 圧縮比・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.3
  • 最高出力・・・・・・・・・・・・・・・・・28ps/8,500rpm
  • 最大トルク・・・・・・・・・・・・・・・・2.5kg‐m/7,500rpm

燃費・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50.3km/ℓ

車両寸法

  • 全長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2165mm
  • 全幅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・860mm
  • 全高・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1210mm
  • 軸距・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1430mm
  • 地上高・・・・・・・・・・・・・・・・・・285mm
  • 車両重量・・・・・・・・・・・・・・・・121kg

変速機

  • 6速リターン
  • 1速・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.769
  • 2速・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.941
  • 3速・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.450
  • 4速・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.130
  • 5速・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.923
  • 6速・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.785

減速比

  • 1次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.125
  • 2次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.100

始動方式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・キック

点火方式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・CDI

タンク容量

  • ガソリン・・・・・・・・・・・・・・・・・9.0ℓ
  • オイル・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.6ℓ

走行装置

  • キャスター・・・・・・・・・・・・・・62.50度
  • トレール・・・・・・・・・・・・・・・・105mm
  • タイヤ(前)・・・・・・・・・・・・・・3.00‐21
  • タイヤ(後)・・・・・・・・・・・・・・4.60‐18

| | トラックバック (0)

2009年6月14日 (日)

心地よいレコードの音

ずいぶん前に、山下達郎さんがラジオ番組で、「CDよりレコードの方がいい音なんです」と言っていたことがあった。ような記憶がある。どのような意味で言ったのか今では分からないが、この言葉に「なんで?」と疑問に思いました。

この「いい音」と言うのが、どんな定義で決められるのかが問題ですよね。

同じオーディオ・システムを使って同じ曲をCDとレコードで聴き比べた場合、どちらが「いい音」に聴こえるか。ってことだと思うんですが、これは、人によって分かれると思います。

だって、「音」って好みの問題ですからねェ~。CDの音がいいという人もいれば、レコードの音の方が好きだなぁと言う人も絶対いるはずです。

今、レコードを聴ける人ってそんなにいないでしょうね。レコードは持ってるけどプレーヤーが無い、とかね。聴くことができる方は、タマに聴いてみると新鮮ですよ。

でも、デリケートなんですよね、レコードの音って。レコードの保存状態が悪いといい音がでないんですよね。埃とかカビとか大敵です。レコード針に埃やカビがこびりついちゃうと大変ですからね。昔、ある本で中性洗剤でレコードを洗うといいと書いてあったので私も試してみたことがありました。やわらかいスポンジで泡立てて洗い、流水で流しましたが、これはなかなか有効かなと思いました。

また、カートリッチでも音が違ってきますし、針圧によっても高音や低音の音質が変わってきます。この辺は自分の好みで若干変えられますね。

こうしたことから、レコードは聴きようによって、「音」が生き物のように変わってしまう。と言っても私のような凡人の耳では微妙な音の変化は聞き分けることはできませんけどね。

昔のレコードを時々聴いているんですが、CDと比べると音の響きが違うような感じがするんですよね。

レコード針が振動して、その振動が直接スピーカーのツィーター、スコーカー、ウーファーに伝わっているような感覚で音が響いてくる感じです。

レコードの音にはやわらかさがありますよね。CDの忠実でかたい鮮明な音に対して、レコードはきれいにやさしく響く音で再生してくれる。高音のシンバルの音もきれいに響いてくるんですよねぇ~。そしてなにより違いを感じるのは、バスドラムやベースの音でしょうか。体に伝わる振動が違う。体に伝わるって、それ「音」じゃないじゃん。って思うかもしれないんですけど、その振動も含めて「音の響き」だと思うんですよね。

CDの音は確かに鮮明でクリアーです。ただ、録音状態によるものなのか、機器によるものなのか、CDでもあまり音質が良くなかったりするのも中にはありますね。

私くらいの年齢の耳にはCDのかための音よりレコードの音が心地よい。使っている機器もアナログ時代の産物ばかりですから、デジタル録音の素晴らしい音を聴けてるわけではないのでCDの音がどうのこうの言えないんですけどね。

人間の耳が聴くことができる周波数はおよそ16Hz~20kHzぐらい。しかし実際は100Hz~10kHzぐらいの周波数が可聴範囲らしい。その周波数範囲をいかに高音質で再生できるかがいいオーディオ機器と言えると思うのですが、どうでしょうか。

CDデッキの周波数特性は2Hz~20kHz。現在のスピーカーシステムでは31.5Hz~27kHzや35Hz~50kHzとかが再生周波数帯域だったりする。人の耳では聴くことができない周波数まで再生してしまうほどだ。意味があるのか?たぶん意味があるのだろうけど、いい音だと感じるのに、この数値はさほど重要ではないような気がする。

ちなみに、私が使っているカートリッチはオーディオテクニカのAT120Ea/Gの再生周波数範囲は18Hz~20kHzですから、人の耳で聴くことができる周波数範囲と一致する。

ですが、私が持っているスピーカー(ヤマハNS-1000M)の再生周波数帯域が40Hz~20kHz。最低共振周波数が40Hzということでカートリッチの再生周波数の18Hz~40Hzまでの音は再生できないが、私はそれでも十分低音の音には満足しています。人が実際よく聞き取れる周波数帯域の100Hz~10kHzはカバーしてるわけですからね。一般的にはNS-1000Mは中高音域に比べ低音域が弱いと言われているが高のぞみはしないでおきましょう。

今回久々にレコードを聴いて感じたのは、音の響きが心地よく、楽器の音が弾んで柔らかく感じました。

追記

以前、ためごろうさんからアナログ録音のレコードの音に軍配が上がる。と言うコメントをいただきました。ありがとうございました。私もそう思うことがよくあります。20年ぐらい前のレコードをひっぱりだして聴いては、以外にいい音出してるんだなぁ~、なんてね。

ためごろうさんは、ビクターのQL-A7で聴いておられるという事なのですが、私もQL-A7です。デザインと光沢のあるキャビネットが気に入ってます。もうこんなプレーヤー手に入らないと思いますので、生涯使い続けられるように大切にしたいと思います。

Dscn2409

| | トラックバック (0)

2009年5月31日 (日)

トムとジェリー

「トムとジェリー」は私たちの年代だったら誰でも知っているアニメですよね。子供の頃はテレビで何度も再放送してたんですけど、最近はぜんぜん見ないですね。子供の頃は再放送の度に見ていて、内容も分かってるんですけど面白くって笑えるんだよね。

「また見てみたいなぁ」と時々思っていたところに、先日新聞で「トムとジェリー」のDVDが980円で発売と言う広告を見つけたものですから、これはもう買うしかないと思い即購入しました。

私が買ったのは、宝島社から発売しているDVD BOXです。選りすぐりの作品30話が2枚のディスクに収められている。

Dscn2400

Img092_2

収められている作品が製作されたのは1940年から1953年。なんと私が生まれる20年も前からこのアニメが作られていたんですね。それなのに動きが滑らかですよね。アカデミー賞を受賞した作品やノミネートされた作品も多く収録されている。どれもこれも記憶の片隅に残っているものばかりで、とっても懐かしく楽しんで見ることができる。

収録されているアカデミー賞受賞作品とノミネート作品を見てみると、

  • 上には上がある(第13回アカデミー賞ノミネート作品)1940年。記念すべき第一作目だ。
  • メリー・クリスマス(第14回アカデミー賞ノミネート作品)1941年。
  • 勝利は我に(第16回アカデミー賞受賞作品)1943年。
  • ネズミ取り必勝法(第17回アカデミー賞受賞作品)1944年。
  • ただいまお昼寝中(第18回アカデミー賞受賞作品)1945年。
  • ピアノ・コンサート(第19回アカデミー賞受賞作品)1947年。
  • あべこべ物語(第20回アカデミー賞ノミネート作品)1947年。
  • 台所戦争(第21回アカデミー賞受賞作品)1948年。
  • ごきげんないとこ(第23回アカデミー賞ノミネート作品)1951年。
  • パーティ荒し(第24回アカデミー賞受賞作品)1951年。
  • ワルツの王様(第25回アカデミー賞受賞作品)1952年。

の以上ですが、ほとんど毎回のようにノミネートされていたんですね。

1作目の「上には上がある」でいつものおてつだいさんが出てくるんですが、トムのことを「ジャスパー」って呼んでいたんですよ。これは、このDVDが吹き替え版ではなく、字幕版だったので分かったことだったんです。後に猫が「トム」鼠が「ジェリー」と名前が付いて「トムとジェリー」となったんですね。

「トムとジェリー」は1940年の「上には上がある」から始まったのですが、制作会社はMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)という映画会社で、ここに所属していたアニメーターのウィリアム・ハンナとジョゼフ・バーベラが製作した。この2人が素晴らしかったんですねぇ。

私たちがおもしろいと思って見ていたのはこの2人が作り出した「トムとジェリー」なんです。彼らは1958年までの18年間にわたり作り続け一旦「トムとジェリー」の製作から身を引くことになる。製作本数は分かりませんが、年間数本だけの製作だったと言うことです。

1話がわずか7分~9分と短い作品ですが、制作にはかなりの時間が費やされていそうで、年間に数作品だけしか作られなかったというのも納得できます。

とにかく2人のアイディアには脱帽と言った感じがありますね。アニメだからいろんなことができるとは言え、発想力というか想像力が豊だというのか、凡人の私たちには思いもつかないことをいろいろと見せてくれました。

私が気に入っている作品のひとつで「勝利は我に」を見てると、よくこんなことを考え付くもんだとつくづく思います。トムとジェリーの追いかけっこを戦争風に描いた作品なのですが、シャンパンのコルク大砲、電球爆弾、バナナミサイル、卵爆弾、ブラジャーのパラシュートなどなど。

そして忘れてはならないのが音楽ですね。このDVDは字幕版なので、トムもジェリーもしゃべらないんです。吹き替え版ではしゃべっているんですが、実際はセリフはほとんどないんですね。トムの叫び声や笑い声ぐらいで、ジェリーはまずしゃべらない。ジェリーの笑いはバイオリンで表現したりして、オーケストラがトムとジェリーの動きに合わせた音を出している。ある意味「サイレント映画」みたいだ。ちなみに音楽を担当していたのはスコット・ブラッドリーという人です。

私がひとりで見ていると、妻も「懐かしいね~」って笑いながら見ていた。

やっぱり「トムとジェリー」は楽しいアニメです。

| | トラックバック (0)

2009年5月17日 (日)

モトクロスマシンを変えたサスペンション

モトクロスレースの醍醐味のひとつはジャンプ。今のモトクロスマシンは、ジャンプの高さ、飛距離とも昔のモトクロスマシンとは比べ物にならないほど高く、そして遠くまで飛ぶ。その驚異的とも呼べるジャンプを可能にしたのは画期的なサスペンションが登場したからだ。

ヤマハのモノクロスサスペンションがそれだ。1973年にファクトリーマシンYZ250cc・125ccに搭載されて登場した。

Img084_2

1978型市販YZ250 

Img085_2

1978年型TZ350 モノクロスサスの構造がよくわかる

通常リアのスイングアームに付いている2本のショックアブソーバーが消えてしまった。1本のショックアブソーバーが車体の中心のタンク下に隠れスイングアームに連結している。一見ショックアブソーバーのないリアサスペンション。そんなバイクがまともに走るのか?

しかし、そのデビューレースの全日本モトクロス選手権の開幕戦で250cc、125ccの両クラスで1,2,3フィニッシュというとんでもない圧勝劇を演じてしまった。

この画期的なサスペンションは従来のものと比べ驚異的にホイールトラベルを大きくとることができるため、特にジャンピングスポットでの速さが際立っている。これまではジャンプのコブをひとつひとつ飛んでいたのを、ふたつのコブをいっぺんに飛んでしまうほど高いジャンプが可能になったのである。そのため「空飛ぶサスペンション」と呼ばれたほどだ。

モノクロスサスを搭載したヤマハのファクトリーマシンはこの1973年、全日本モトクロス選手権(250cc・125cc)とモトクロス世界選手権(250cc)のチャンピオンを獲得するというこれ以上ないデビューイヤーとなったのである。

これをきっかけに各メーカーも次々とモノショックサスペンションを出してくるかと思われたが、そうはいかなかった。次にモノショックのサスペンションを出してきたのはこの1973年より遅れること6年、1979年のことだった。

カワサキがのちに「ユニトラックサスペンション」と呼ばれるサスペンションユニットをファクトリーのモトクロスマシンに搭載。

Img090_2

Img087_2

1980年型KX125A-6市販型

これはリアのスイングアームからロッドを伸ばし、リンクモーションを用いてリアのクッションユニットを押し出す形に作用するサスペンションだ。クッションユニットを1個にすることで軽量化にも貢献し、さらに車体の中央部にこのユニットが位置することでマスの集中化にもなるということなのだ。

このサスペンションユニットを搭載したファクトリーマシンKXは全日本モトクロス選手権の開幕戦でいきなり優勝してしまったのだ。ただカワサキはこのサスペンションユニットを初めて搭載したのはロードレーサーのKR350・250だったんですね。このKRは1978年のロードレース世界選手権でチャンピオンを獲得している。

カワサキがユニトラックサスのKXをデビューさせてから2ヶ月後、ついにホンダがリンクモーションを用いたリアサスを搭載したファクトリーのモトクロスマシンをデビューさせた。これがのちに「プロリンク」と呼ばれるサスペンションユニットだ。

Img090_3

Img088_2 

1981年型CR250R市販型

スズキがこのタイプのサスペンションユニットをモトクロスマシンに搭載したのは翌1980年の3月、谷田部での全日本モトクロス選手権の開幕戦でのことだった。カワサキの「ユニトラック」に似ているが、リアクッションの取り付け方が違っていた。スイングアームからロードが立ち上がっていてロッキングアームにつながっている。クッションユニットの上部がロッキングアーム連結し、下部がスイングアームに取り付けられている。このロッキングアームがクッションユニットを押し込む形に働く。このクッションユニットが車体(フレーム)に直接取り付けられていないため浮いた形に見えることから「フルフローターサスペンション」と呼ばれた。のかな?

Img091_2

Img089_2

1981年型RM250市販型

これで日本の4メーカーすべてがモノショックのサスペンションユニットをモトクロスマシンに搭載したことになったのである。ただこれらのサスペンションはこの後1~2年、こまかい改良や変更が行われて熟成されていった。そしてボンボンジャンプするモトクロスマシンができあがっていったんですねぇ。

こんなモトクロスマシンが一番活躍したのがショー的要素が大きい「スーパークロス」でしょうね。スーパークロスはスタジアムにモトクロスコースを作っちゃうわけですが、マシンに合わせてコースを作ったのか、それともコースに合わせてマシンが進化していったのか、とにかくハードな条件を凝縮して詰め込んで作られていたコースですよね。スーパークロスのレースを初めて見たときには「バイクがこんなに高く飛ぶものなのか」とビックリしました。

最後にひとつ。ヤマハのモノクロスサスペンションはひとつ間違えればスズキのものになってたかも?

写真はモーターサイクリスト1982年臨時増刊号より。

| | トラックバック (0)

2009年5月 5日 (火)

「パーティ」 ピーター・セラーズ

子供の頃に観た映画でとても印象に残っている作品って誰にでもひとつやふたつあると思います。私にとっては「まぼろしの市街戦」がそうであったし、この「パーティ」もそんな作品の一つです。

「パーティ」を観たのは中学に入ったばかりの頃だったかなあ?テレビで観たんですけど、とても楽しい映画だった。外国のパーティってこんな楽しいものなんだなぁ、って思ったものでした。

「パーティ」の主演が誰だったのかなんて当時は知る由もなかったんですが、何年か前にWOWOWで放送したのを観てビックリ。「ピンク・パンサー」シリーズのクルーゾー警部役でおなじみのピーター・セラーズだったんですねぇ。監督も「ピンク・パンサー」シリーズのブレイク・エドワーズ。このコンビの作品だったとは驚きでした。

「パーティ」が作られたのは1968年。「ピンク・パンサー」シリーズの1作目の「ピンクの豹」にクルーゾー警部役で出演したのが1963年。翌1964年シリーズ2作目の「暗闇でドッキリ」が製作された。この2作目は「ピンク・パンサー」シリーズに挙げられているが「ピンク・パンサー」と呼ばれるダイヤモンドとはまったく無関係だ。そのためか、シリーズの3作目と言われている作品に「ピンク・パンサー2」と言うタイトルが付けられている。

このシリーズ3作目の「ピンク・パンサー2」が作られたのは1975年。「暗闇でドッキリ」から実に11年の歳月が流れていたんですねぇ。その空白のとなっている時期の1968年にこの「パーティ」が二人のコンビで作られていることにどんな意味があるのか?そんなことなどどうでもいいのですが、ただ「ピンク・パンサー」シリーズのコンビが作った映画だということを知って観るとなかなかおもしろいのかなと思います。

古き良き時代のコメディ映画を観たい方にはお勧めですが、大爆笑して観る作品ではないんですねぇ。おもわず「プッ」っと吹き出したり、「こんなことする奴いねぇよ」なんておもわず独り言を言いながら観てしまう。先の展開を予想しながら観ることもできる古典的なコメディ映画だ。

ピーター・セラーズ演じる主人公のバグシのとぼけた表情が、「こいつなんかヤリそう」と思わせる。

ストーリーは単純だ。主人公のバグシはインド人の三流役者だ。ある映画の撮影で大失敗をして、監督からこの世界から追放してやると言われたが、ある手違いで映画関係者のパーティに招待されることになる。そのパーティでバグジが巻き起こす数々のドジ話と言ったところでしょうか。

ひとつ気になるのが、この映画のなかでピーター・セラーズがパーティに乗ってきた3輪車のスポーツカータイプの車。車好きの人には気になると思いますよぉ~。

この映画を観たら「ピンク・パンサー」シリーズのクルーゾー警部が観たくなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月26日 (日)

スティクス 「パラダイス・シアター」

先日、以前から欲しかったCDをインターネットで買っちゃいました。それがスティクスの「パラダイス・シアター」だ。前から欲しかったんだよね~。

Img083 

スティクスはミュージック・テープで「ピーシズ・オブ・エイト」を持っているんです。いつ頃買ったのか、なぜスティクスを知ったのかも記憶にないのですが、この「ピーシズ・オブ・エイト」もかなり気に入っていて何度も聴いていました。

Dscn2396

「パラダイス・シアター」は学生時代にFM番組から録音したテープを持っていて、それを聴いていました。その頃のFMで、番組名は覚えてませんが確かNHKで午後の4時ごろから始まる番組だったと思いましたが、アルバムのナンバーをほぼ全曲(1,2曲省いて)ノンストップで流していたんですよね。それで録音したものなんですが、「時は流れて」以外はすべて収録しているんです。

今じゃ考えられない番組ですよね。「FMレコパル」でチェックして、家にいない時はタイマーで録音してましたねぇ。学生時代は金が無かったものですから、FM番組からの録音とレンタル・レコードを録音してました。当時のテープは300本ぐらいあるのかなぁ。たまに「なつかしい~」って言いながら聴いてます。

スティクスの「パラダイス・シアター」は1981年に発表されたアルバムで、彼らにとっては10枚目の作品だ。そして、初の全米No1となったアルバムだ。

このアルバム・タイトルの「パラダイス・シアター」はスティクスが誕生したシカゴの伝説の大劇場の名前だ。この大劇場は1928年に開業してわずか30年後の1958年には閉鎖してしまったのである。この「パラダイス・シアター」の栄枯盛衰を当時のシカゴの時代背景を織り込みながら作られたのがこのアルバムだ。あの大ギャングのアル・カポネが全盛の時にオープンした劇場が大恐慌や世界大戦にもまれてクローズするまでをドラマチックに表現している。

アメリカの古き良き時代もちらっと懐かしめる。その象徴と思えるのがアルバムの1曲目の「1928年(パラダイス・シアター・オープニング)」と最後の曲「ステイト・ストリート・セイディ」(インストゥルメンタル)に流れるピアノの音ですね。昔のギャング映画のバーなどで弾かれているような音色のピアノの音がなかなか哀愁を誘いますねぇ。

スティクスの魅力はデニス・デ・ヤング、トミー・ショウ、ジェイムズ・ヤングの作りだす楽曲と3人がそれぞれリード・ボーカルを務めることでしょうか。

デニス・デ・ヤングはキーボード。トミー・ショウとジャイムズ・ヤングはギター。楽曲にもその違いが出てたりする。デニス・デ・ヤングとジェイムズ・ヤングはよく共作するようだが、トミー・ショウは単独での曲が多いようだ。

ここでこのアルバムの楽曲とライターを見てみよう。

  1. 1928年(パラダイス・シアター・オープン)・・デニス・デ・ヤング
  2. ロッキン・ザ・パラダイス・・・・・・・・・・・・・・・・・デニス、ジェイムズ、トミー共作
  3. 時は流れて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・トミー・ショウ
  4. 砂上のパラダイス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・デニス・デ・ヤング
  5. ザ・ベスト・オブ・タイムズ・・・・・・・・・・・・・・・・デニス・デ・ヤング
  6. ロンリー・ピープル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・デニス・デ・ヤング
  7. 愛こそすべて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・トミー・ショウ
  8. 白い悪魔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・デニス、ジェイムズ共作
  9. ハーフ・ペニー、トゥー・ペニー・・・・・・・・・・・ジェイムズ、レイ・ブランドル共作
  10. 1958年(パラダイス・シアター・クローズド)・デニス・デ・ヤング
  11. ステイト・ストリート・セイディ・・・・・・・・・・・・・・デニス・デ・ヤング

1曲目の「1928年(パラダイス・シアター・オープン)」のメロディが5曲目の「ザ・ベスト・オブ・タイムズ」さらには10曲目の「1958年(パラダイス・シアター・クローズド)」にも使われこのアルバム全11曲で壮大なひとつの作品が完成しているような感じだ。

このように書くとなんか重いアルバムのように感じるかもしれないが、そんなことはないんですよ。

2曲目の「ロッキン・ザ・パラダイス」はデ・ヤング、ショウ、ヤングの合作にふさわしくごきげんなロックナンバーだ。「時は流れて」、「ザ・ベスト・オブ・タイムズ」は全米トップ10内に入るヒットとなったポップなナンバー。「愛こそすべて」はトミー・ショウの軽快でライトな曲。ギター・ソロとサックス・ソロの掛け合いがなんともいい感じだ。9曲目の「ハーフ・ペニー、トゥー・ペニー」はアメリカン・プログレッシブ・ロックとも言われた彼らの演奏が聴きごたえある。

私は、スティクスのアルバムは「ピーシズ・オブ・エイト」と「パラダイス・シアター」しか聴いたことがない。ベスト盤も持っているが、彼らの作品はベスト盤で聴くよりもアルバムで聴いた方が絶対いいですね~。

メンバー

  • デニス・デ・ヤング(ボーカル、キーボード)
  • ジェイムズ・ヤング(ボーカル、ギター)
  • トミー・ショウ(ボーカル、ギター)
  • チャック・パノッソ(ベース)
  • ジョン・パノッソ(ドラムス)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月12日 (日)

HONDA MB50

ホンダMB50は私が学生時代に足代わりに乗っていたバイクです。1979年に発売された50ccオンロードスポーツタイプのモデルです。

Img078_2

1982年モーターサイクリスト10月号臨時増刊より

当時50ccオンロードスポーツタイプとしてホンダはCB50がありました。4サイクルエンジンでなかなか伸びるエンジンで最高速は90km/h以上出てましたねぇ。しかし、私も乗ったことがあるのですが、50cc4サイクルは加速がどうにもかったるいんです。

ホンダはCB50に限らずこの50ccクラスはすべて4サイクルエンジン。他のメーカーはすべて2サイクルエンジンだ。まあ50ccと言う排気量を考えると、2サイクルの方がパワーを出せるので当たり前と言っちゃぁ当たり前ですよね。

50ccクラスのオンロードスポーツタイプやオフロードタイプのニーズは高校生が多い。しかも、私の住んでいたような田舎の方では、通学にも50ccバイクが許可されていたりしていたので地方の需要はばかにならない。

その地方の販売店からホンダに対して50cc2サイクルエンジンモデルが欲しいとの声が多かった。そこで少年ライダーたちに意見を聞いてみると、50ccでもフロントが上がるくらいのパワーが欲しいと言う要求があり、そこでホンダはこのクラス初の2サイクルエンジンのMB50を発売した。らしい。

このMB50はユニークな「Xライン」のバックボーンフレームを採用。シンプルで高剛性のフレームにエンジンを吊るして取り付けた形だ。3本スポークのブラックコムスターホイールの採用とフレームにあわせた直線的なタンク形状などシンプルで独特なスタイルとなっている。ハンドルはアップハンドルとライディングポジションが前傾になるセパレート型のハンドルが選択できた。ハーフカウルが似合いそうなスタイルだね。

エンジンはリードバルブ方式でベル型燃焼室を持ち最高出力は7ps/9000rpm。当時の50ccの最高出力はホンダCB50・ヤマハRD50・スズキRG50の6.3psが最高だったのでこのクラス最大の馬力となった。

クランク系に逆回転するバランサー(1軸バランサー)を装備。1次圧縮の効果向上やポートタイミングよる早期のガス抜けを考慮してロングストローク化している。

ちょっと他メーカーのスポーツバイクと比較してみよう。

MB50のボア×ストロークは39mm×41.4mm。圧縮比は7.9。

ヤマハRD50は40mm×39.7mm。圧縮比は7.0。

スズキRG50は41mm×37.8mm。圧縮比は7.2。

新車で購入してキッチリ慣らしをして大事に乗りました。最高速がどれくらい出たのかもう記憶にないが、スムーズに吹きあがる印象がありましたねぇ。振動も少なかったように思いました。街乗りにはもってこいのバイクでした。

主要諸元

エンジン

  • 空冷2サイクルリードバルブ単気筒
  • 排気量・・・・・・・・・・・・・・・・49cc
  • 内径×行程・・・・・・・・・・・・39mm×41.4mm
  • 圧縮比・・・・・・・・・・・・・・・・7.9
  • 最高出力・・・・・・・・・・・・・・7.0ps/9000rpm
  • 最大トルク・・・・・・・・・・・・・0.56kg‐m/8000rpm

燃費・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・65km/ℓ

車両寸法

  • 全長・・・・・・・・・・・・・・・・・・1880mm
  • 全幅・・・・・・・・・・・・・・・・・・655mm
  • 全高・・・・・・・・・・・・・・・・・・980mm
  • 軸距・・・・・・・・・・・・・・・・・・1215mm
  • 地上高・・・・・・・・・・・・・・・・160mm
  • 車両重量・・・・・・・・・・・・・・87kg

変速機

  • 5段リターン
  • 1速・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.083
  • 2速・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.882
  • 3速・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.400
  • 4速・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.130
  • 5速・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.960

減速比

  • 1次・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.117
  • 2次・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.307

始動方式・・・・・・・・・・・・・・・・・・プライマリーキック

点火方式・・・・・・・・・・・・・・・・・・マグネトー

タンク容量

  • ガソリン・・・・・・・・・・・・・・9ℓ
  • オイル(ミッション)・・・・・・1ℓ

走行装置

  • キャスター・・・・・・・・・・・・65度
  • トレール・・・・・・・・・・・・・・70mm
  • タイヤ(前)・・・・・・・・・・・・2.50‐18
  • タイヤ(後)・・・・・・・・・・・・2.50‐18

販売価格(1979年)・・・・・・・・136.000円

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年4月 5日 (日)

「750ライダー」 石井いさみ

「750ライダー」はホンダCB750FOURに乗っている高校生を主人公にした漫画だ。1975年から「週刊少年チャンピオン」で連載が始まった。

Img071_2

1975年と言えば私が15歳。バイクの免許取得まであと一年。バイクに興味を持ち始めた頃だ。当時のバイクの最高峰といえば750ccのバイク。ホンダのCB750FOURとカワサキ750RS・通称Z2(ゼッツー)が人気を二分していた。

ただ私が住んでいたところが田舎だったためかなのか、「ナナハン」と言えばCB750FOURを暗に指し示すほどだった。つまりCB750FOURの代名詞が「ナナハン」なのだ。

この漫画も「750(ナナハン)ライダー」とあるがCB750FOURに乗っている少年が主人公だ。そしてこの漫画に登場するバイクは、圧倒的にホンダが多い。作者はホンダ贔屓か。

憧れの「ナナハン」が題材と言うことで興味を持たないわけがない。さっそく読み始めましたねぇ。主人公の早川光は高校二年生。ナナハンに乗っているということで暴走族扱いされる場面が多い。そして番長グループからも目をつけられる。しかし彼は一人で暴走族や番長グループに立ち向かう。こう書くと孤高のヒーローみたいだがそんなかっこいいものではないけど。ナナハンに乗っていると言うだけで暴走族に見られるのが嫌で群れたがらないのか、それとも性格的に独りでいるのが好きなのか。おそらく後者だろう。

この「750ライダー」初めのころはかなり暴力的なシーンが多かった。番長グループや暴走族グループとの対決で、一匹狼的存在の早川光の名前が知れ渡り、彼らから目をつけられ、そして一目置かれるようになってゆく。

Img072

この「750ライダー」は一話完結のスタイルで連載されている。早川光はCB750FOURを大切にいつもきれいにしている。早川自身のバイクに対する想いが伝わってくる。しかし、自分のバイクを粗末に扱う場面もある。バイクを担任の先生に没収され、先生が乗る場面があるが、自分のバイクの前輪が走行中にはずれるように仕掛けをしている。これでは、自分の大事にしているバイクが壊れてしまう。これにはちょっと納得できなかったねぇ。

登場人物としては、同級生で親友?の順平。背が小さく足も短いが時々早川の「ナナハン」に乗っている。ステップに足つくんですかねぇ。

早川のことが好きな美人の委員長。いつも早川と順平といっしょにいる。

元暴走族のリーダーの喫茶店のマスター。今ではモンキーが愛車だ。店の壁に貼ってある車のポスターが楽しみでした。

Img076_2

用務員のおやっさんは戦時中に通信兵でバイクを乗っていたがその時に片腕をなくしている。早川のバイクを先生たちの見回りの時隠してくれる。

暴走族「ブラックベアー」の隊長や竜童学園(早川の高校)の番長は、しだいに早川を認めていく。

この漫画に出てくるバイクはノーマルで改造しているものはほとんどない。当時は改造パーツも少ない。とは言え暴走族グループはマフラーぐらい改造してそうだけどね。

確かに、私が高校生時代には、ハンドルをコンチハンや一文字にしたり、バックステップにしたり、マフラーの消音機を抜いてみるぐらいの改造でしたかねぇ。お金もなかったし。かわいいもんですよね。

この「750ライダー」は連載が始まった頃と終りの方では「絵」的にも内容的にもかなり変わってしまった。私は、後半の方はもう読まなくなってしまっていた。始めの頃はおもしろかったのだが・・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月19日 (木)

ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジ 「ザ・ウェイ・イット・イズ」

「ザ・ピアノ・ソングス」を聴いていた。2枚組で、昔懐かしい曲も随分ある。エルトン・ジョン「ユア・ソング」から始まり、シカゴ「サタデイ・イン・ザ・パーク」へと。カーリー・サイモン「うつろな愛」やビリー・ジョエル「ピアノ・マン」、そしてアバやトトのナンバーもあり、聴いていて飽きることはない。

3曲目で聞き覚えのあるピアノのイントロから始まる曲が流れてきた。私好みのピアノの音色だ。実にいい音なんですね。ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジの「ザ・ウエイ・イット・イズ」である。

ピアノの音もアーティストやアルバムによって様々な音色で異なる。ソフトなやさしい音色もあれば、ダイレクトにクリアな音がビンビンと響いてくる演奏もある。私はどちらかと言うと、ピアノを間近に感じられるような曇りのない音がダイレクトに響いてくる音色が好きである。最近では、久石譲さんの「Piano Stories Best '88~'08」のアルバムのピアノの音がいいですね、特に4曲目のファンタジアの音が最高ですね。

ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジの「ザ・ウエイ・イット・イズ」もそんなピアノの音だったので、「こんなにいい音のアルバムだったっけ」みたいな思いで、久しぶりに「ザ・ウエイ・イット・イズ」と同名のタイトルのアルバムを聴いてみた。

Dscn2392

このアルバムは彼らのデビューアルバムだ。1986年に発表されたこのアルバムは200万枚以上を売り上げる成功を収めた。

ブルース・ホーンズビーはある大物アーティストに見出されたと言っていいだろう。ヒューイ・ルイスである。当時ヒューイ・ルイスはアルバム「スポーツ」や映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主題歌「パワー・オブ・ラブ」のヒットなどで人気絶頂の時だ。

そのヒューイ・ルイスがレコード会社に「俺はヒューイ・ルイスだ。ブルース・ホーンズビーと契約しろ」みたいな、半分脅しのような電話をしたとかしないとか。あの小林克也さんが昔ラジオ番組で言っていたことを思い出した。ヒューイ・ルイスならやりかねないと思ったものでした。

そのブルース・ホーンズビー&ザ・レインジのメンバーは

  • ブルース・ホーンズビー(ヴォーカル、ピアノ、アコーディオン)
  • デヴィッド・マンスフィールド(ギター、マンドリン、ヴァイオリン)
  • ジョージ・マリネリ(ギター)
  • ジョー・プエルタ(ベース)
  • ジョン・モロ(ドラム)

の5人だ。それぞれミュージシャンとして活動していた連中だ。

ブルース・ホーンズビーは地元のヴァージニアでブルース・ホーンズビー・バンドを組んでいた。キーボード・プレーヤーとしてセッション活動もしていて、シーナ・イーストンのバック・バンドにも参加していたことがあるらしい。

デヴィット・マンスフィールドはボブ・ディランのアルバムに参加したり、ジョン・クーガー・メレンキャンプのサポートメンバーだったことも。

ジョージ・マリネリはビリー&ピーターズのギタリスト。

ジョー・プエルタはアンブロージアのメンバー。クリス・レアやアラン・パーソン・プロジェクト、アル・スチュアートのアルバムに参加したりしていた。

ジョン・モロについては、この時点でどのような活動をしていたのか知らないが、後にジョン・フォガティのアルバムに参加したりしている。

収録曲は、

  1. ウェスタン・スカイライン(B.R.ホーンズビー、J.ホーンズビー)
  2. エブリ・リトル・キス(B.R.ホーンズビー)
  3. マンドリン・レイン(B.R.ホーンズビー、J.ホーンズビー)
  4. ロング・レース(B.R.ホーンズビー、J.ホーンズビー)
  5. ザ・ウエイ・イット・イズ(B.R.ホーンズビー)
  6. ダウン・ザ・ロード・トゥナイト(B.R.ホーンズビー、J.ホーンズビー)
  7. ワイルド・フロンティア(B.R.ホーンズビー、J.ホーンズビー)
  8. ザ・リバー・ランズ・ロウ(B.R.ホーンズビー、J.ホーンズビー)
  9. レッド・ブレインズ(B.R.ホーンズビー、J.ホーンズビー)

である。見てお分かりだと思うが、ほとんどの曲がジョン・ホーンズビーとの共作である。彼は、ブルース・ホーンズビーの実兄です。

このアルバムにはヒューイ・ルイスもプロデューサーで参加している。ヒューイの名前がクレジットされていることもこのアルバムの売り上げに貢献していると思う。

彼が手掛けているのは、4曲目のロング・レース、6曲目ダウン・ザ・ロード・トゥナイト、8曲目ザ・リバー・ランズ・ロウの3曲だ。あらかじめヒューイ・ルイスのプロデュースによる曲だと知って聴いてみると「なるほどね」と納得できる仕上がりだ。

このアルバムはデビュー作としては完成度が高い。プロのミュージシャンが集まり結成されたグループなだけあり演奏がしっかりしている。なんと言っても、ホーンズビー兄弟の作りだした曲自体がすばらしい。ミディアム・テンポの落ち着いたメロディが多く、リラックスできる。そしてピアノの音が良いのです。

どのアルバムにも、ゲスト・ミュージシャンの名前とかクレジットされていますが、楽器のメーカーやモデルは書かれてませんよね。書いていてほしい時ってありますよね。ピアノとかギターの音がすごく自分好みだったりすると、どこのメーカーでモデルはなんなのか知りたいですよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«傷だらけの天使